ふとしたことで、1993年に若き日のジョニー・デップとレオナルド・ディカプリオが共演した「ギルバート・グレイプ」という映画をまた見ました。
自分が生まれ育ったアイオワ州の小さな町(エンドーラ)から一度も出たことがないギルバートには、重い知的障害を持つ弟アーニー、
夫の自殺から7年間も家から出たことがない肥満で過食症の母、そして2人の姉妹がおり、食料品店で働きながら家族の面倒を見ていた。
ギルバートがジョニデで、知的障害を持つ弟役がレオナルド・ディカプリオで、ディカプリオはこの役で、アカデミー助演男優賞ノミネートされたんだけど、タイタニックが1997年なので、顔で注目される前に名演技を披露しています。
胸が苦しくなる名演技です。
で、ジョニデが、街から来たベッキーと出会い、自由が欲しくなる話で、
ギルバートがアーニーをお風呂に入れる係りなんだけど、早くベッキーに会いたいギルバートは、「一人でお風呂に入れるね」って何度も確認して、アーニーをお風呂場に一人残して、ベッキーに会いにいくんだけど、次の日にお風呂に入ったままで凍えているアーニーを見つけ、母親にギルバートが叱責されるシーンとか切なくなります。
家族の理由でガチガチにがんじがらめになり、人生を諦めていたギルバート・グレイプ。
最後は、母の死後、弟と共に自由を求めて街を出ます。
(母の死後に自由になるのがまた悲しい。また○○するのが自由への象徴になるのもまた悲しい)
都会に疲れた女性が田舎の男性に癒される話は多いですが、田舎の男性が都会から来た女性に刺激を受けて求めていた自由に気づくパターンを美しい自然と共に描かれています。
⇒ネタバレはこのサイトさんが詳しいです。
昔、アルバイトをしていた時に、「あなたが好きなことができるのはあなたの家族が健康だからよ」「今やりたいことは今やったほうがいい。もしも2年経って、あなたの家族が病気をしたらいけなくなるかもしれないよ」とバイトリーダー的な人にアドバイスをされました。
彼女は、高校生の時から母親の介護をしていて、自分のやりたいことができなかったんだとか。
その言葉の意味が、その時はあまりよくわからなかったのだけど、今はすごくよくわかります。
自分の自由は健康な家族のおかげ。
自分の健康は家族の自由を守るものでもあるのです。
もしも、そんな血縁的ながんじがらめがないのに、自分の心が自由になれず、自由にならないのなら、もったいないですよね。
なんて感想を「ギルバート・グレイプ」を見て思いました。
昔見た映画を今見たら、昔とは違う見方をしているのがおもしろいですね。^^